通りで見かけたこの石碑。調べてみたら意外な意味がありました。 (東京都西東京市田無町)
(西東京市田無町)
田無神社の参拝帰り、道路脇で見かけたこの石碑。
いったい何なのだろう?
いったい何のためにたてられた?
写真の石碑は西東京市の指定文化財になっており、すぐ横に解説が書かれていました。それによると、こちらは柳沢庚申塔(やぎさわこうしんとう)というものらしいです。
そこに書いてあることを自分なりに短くまとめると、「享保8年(1723年)付近の住民23人で庚申講(こうしんこう)が組織され、来世安楽を祈願してこの庚申塔が建てられた。田無は青梅街道の宿場町で道路の分岐点でもあったため、道しるべの役割もあった。」
というようなことが書いてありました。
う~ん。わかったようなわからないような。
庚申講って何なんだろう?調べてみました。
庚申講(こうしんこう)って何?
庚申講とは日本の民間信仰で庚申(こうしん、かのえさる)の日に神仏を祀りつつ徹夜で飲み食いするという庚申待(こうしんまち)という行事をする集団のことを言います。
この行事は道教の伝説に基づいています。
その伝説とは人間には三尸(さんし)という虫が頭と腹と足についていて常にその虫が人間の行動を監視しているというのです。その三尸の虫は庚申の日に、人間が眠りについた隙をみて天に上り、閻魔大王様にその人間の悪事を報告してしまうのです。その罪の重さによって、人間は寿命を縮められたり、死後、地獄・餓鬼・畜生と呼ばれる三悪道に墜とされたりするというのです。
ではどうすればいいと昔の人は考えたのでしょう。
悪いことをしないようにしようとは思わなかったようです。
庚申の日に眠らなければ三尸の虫は体の外に出て天に上れないじゃないかと考えました。まあ、確かに完璧な人間なんていないし現実的で前向きな発想ともいえます(笑)
その発想が転じて、庚申待ちをすれば長生きし幸せになれるという形になり、それのみならず、家内安全、五穀豊穣、現世と来世のことまで祈るようになっていったのです。
庚申の日にはお神酒や精進料理を神様にお供えし、一晩中飲み食いをして過ごすという行事になったのです。
平安時代に中国の民間信仰として日本の公家や僧侶の社会に伝わり、鎌倉・室町時代には武家社会にも広がりました。仏教的な色彩が濃くなったり、神道の要素が混ざったりと一晩中飲み明かすこと以外は、確立された信仰ではなかったようにもみえます。
江戸時代には農村などの民間にも広がり始め、次第に社交的な意味合いが強くなっていった。明治には神仏分離などもあり、信仰はすたれていきますが、今でも親睦会と名前を変えて庚申待を行っているところもあるそうです。
結局、庚申塔ってなんなんだ?
庚申(こうしん、かのえさる)の日は昔の暦で60日に1度来ることになるのですが、庚申待を毎回行い、3年18回継続したことを記念して建てることが多いそうです。
庚申塔に描かれているのは庚申待で祀られる神様で、仏教だと青面金剛(しょうめんこんごう)や帝釈天(たいしゃくてん)で、神道になると猿田彦命(さるたひこのみこと)になります。結構、ごちゃ混ぜです。先ほどの柳沢庚申塔(やぎさわこうしんとう)は青面金剛が描かれています(赤線の中)。
青線の中は邪鬼が青面金剛に退治され踏みつけられていることが見てとれます。また庚申の申は干支の猿を意味することから、「見ざる言わざる聞かざる」の山王信仰(三猿信仰)と結び付けられ三匹の猿が描かれることも多いのです。
大変わかりずらいですが、邪鬼の下のこの部分に三匹の猿と二羽の鳥が描かれています。二羽の鳥は「庚申の日」の翌日が「辛酉(かのととり)の日」で
「酉」は「鳥」を意味するため、翌日朝まで行われるこの風習と関係づけられ描かれたのではないかと言われています。
同じ理由で月と太陽が描かれることもあります。こちらもほぼ消えかけていますが、碑に描かれているのがわかります。
以上描かれているものを順に説明しましたが、基本的なものの一例でこうでなければならない構図というのは特にないようです。
庚申待ちの現代ではマズイ言い伝え
庚申待にはいくつか言い伝えがあるようです。
庚申待で祀る神様・庚申様は「月のもの」や「出産」を穢れたものとし、女性は料理と片付けが役目であるとされたそうです。男がただただ飲み騒ぐだけの言い訳に聞こえないこともないです・・・。今だったら、セクハラでぶっ飛ばされてる・・・(笑)
また、子作りも庚申の日は禁忌され、その日にできた子は将来泥棒になるといわれたそうです。
どこにでもある庚申塔
皆さんも結構気になるようです。
お賽銭で庚申塔へのお花を買っているそうです。
— 蹲 (@tsmie22) 2019年9月29日
優しい世界。 pic.twitter.com/cIvMmod3pP
丹沢の好きな石造物
— みあまま (@miamamacat) 2019年9月29日
タコ?!
西丹沢行きのバスの中から見つけた時はびっくり!
庚申塔なので
タコというより猿でしょうね pic.twitter.com/S9FtHNkoom
#中尾観音堂の #庚申塔 4基-1
— やぶじ~3 (@toroiji_ji) 2019年9月30日
① 宝永七年二月(1710)笠付角柱型・青面金剛立像
六臂合掌・日月雲・二鶏・三猿
奉造立庚申尊像二世安楽所
講中廿六人
② 享保十八年十二月(1733)駒型・青面金剛立像
六臂合掌・日月雲・邪鬼・二鶏・三猿
武刕豊嶋郡徳丸中尾村 願主及川久兵衛 pic.twitter.com/805bEteDG1
まとめ
以上調査の結果をお伝えしました。この庚申塔は沖縄以外の全国に分布が確認されており、珍しい物なんかではなく日本に広く根付いた文化だそうです。普段何気なく目にするこんな石碑に今まで知らなかった文化が隠れていたことに自分の無知を反省すると同時に、驚き、うれしくも思いました。風習や習わしをないがしろにして忘れてしまえば、この庚申塔もいつかは撤去されてしまうのかもしれません。そうなったら日本はただの日本人が住む場所という意味でしかなくなり、愛着も失い、日本人であることになんの意味も見いだせなくなるのかもしれません。そうならないよう、これからも日本の文化を学んでいこうと思っています!
最後まで拙い文章を読んでいただきありがとうございました!