境内でおこった事件とは! 東京十社・芝大神宮の歩き方。 (東京都港区芝大門)
東京十社に数えられる芝大神宮。東京タワーに近い東京のオフィス街、芝大門に鎮座しています。その歴史は古く、1005年平安時代の創建。明治には火災で焼失、大正では関東大震災で倒壊延焼、昭和では東京大空襲での焼失と何度も憂き目にあってきました。
その度、再建され今もまだ多くの人が参拝に訪れています。歴史が長いと色々なことが起こるようで江戸時代には境内で歌舞伎にもなったある事件が起こったとか・・・。
御祭神
・天照大御神(アマテラスオオミカミ)→伊勢神宮の内宮の御祭神。
・豊受大神(トヨウケノオオカミ)→伊勢神宮の外宮の御祭神。
伊勢神宮の神様を祀っており、源頼朝や徳川幕府の篤い庇護のもとにおかれ、神社周辺は大変賑わい「関東のお伊勢さん」とも呼ばれていました。相殿にも多くの神様がいらっしゃいますが、庇護を受けていた源頼朝や、徳川家康も祀られているのが特徴です。
境内で起こった事件とは?
舞台は芝大神宮です。江戸時代の消防組織「め組」の二人とその知人の三人が境内で開かれている相撲興行を見に行きます。「め組」はお金を払わず見ることができる特権がありました。ただ、同行した知人までただで見ようとしたため、木戸番に止められ口論になってしまいます。そこに力士の九竜山が現れ、間に入り木戸番に味方したことで、いったん事態は収束します。その後、九竜山が相撲を終え芝居を見に行くと偶然さっきの「め組」たちに出くわしてしまいます。「め組」たちの怒りは再燃し、九竜山を挑発、大喧嘩になってしまいます。そこから、話を聞きつけた力士仲間が集まったり、め組側は半鐘(火事の時にならす鐘)を鳴らして仲間を集めたりして、大乱闘に発展し、両陣合わせて36人が捕縛されてしまいました。最後は普段は集まることのない寺社奉行(相撲興行を管轄)、町奉行(町の事件を管轄)、勘定奉行(農民の訴訟を管轄)が総出で協議するという珍事になってしまったため庶民の耳目を集めることとなりました。
結局、事件の発端となった「め組」の二人と九竜山は江戸追放、その他の「め組」は説諭と罰金。九竜山以外の力士はお咎めなしでした。面白いのはならされた半鐘(はんしょう)が島流しになっています。なぜかというと、全体的に刑が軽かったのは事を荒立てないため、「鳴った半鐘」が悪いということで半鐘に罪を被せたからだそうです。落語みたいなオチですね。
その半鐘は明治になってから芝大神宮に戻されており、今でも社宝として保存されているようです。境内には他にも「め組」の文字や力士にかかわるものが散見されるのが面白いです。
狛犬の台座に「め組」と刻印されています。
こちらは力石(ちからいし)。明治時代に活躍した力士・山口藤吉(慶応三年生)が芝大神宮で興業が行われた時、片手で持ち上げたと伝えられている石です。「五十貫余」と書いてあり、明治の単位で、一貫=3.75キロらしいので187.5キロ以上ということになります。どう見てもそんなに重そうに見えないので多分、「ああ、これは絶対50貫はあるな。やっぱ力士はすげえなあ。」くらいの重さの決め方だったんだと思います。
芝神宮と生姜の関係とは?
境内には生姜塚と書かれた碑があり、授与所にも生姜飴などが置いてあり、生姜と芝神宮につながりがあることがうかがえます。調べてみると神社が創建されたころは周辺は生姜畑に囲まれていたようで、その生姜を神前にお供えしていましたが、お供えした後に食べると風邪になりにくいと評判になり、それ以来例祭期間中に生姜を授与するようになったそうです。例祭は9月11日から21日までと期間がだらだらと長いため「だらだら祭り」と呼ばれています。決してスマホ見ながら神輿を担いだりしてるわけではありません(笑)また、期間中に葉生姜を授与していることから「生姜祭り」とも呼ばれるようです。皆さん生姜を楽しみにされているんですね!
食べたいでしょ。だらだら祭名物。生姜蕎麦。 pic.twitter.com/eOZw5HxvHc
— ラ~ク (@osampo_koubou) 2017年9月15日
芝大神宮のだらだら祭。
— hiroyuki okuyama (@hiroyukiokuyama) 2019年9月12日
ここな生姜を食べると風邪を引かないらしいが、それは元々の生姜の効能かもしれません。 pic.twitter.com/xWSZhBlzrH
⛩芝大神宮
— みゆさん★御朱印★風景印★御城印 (@MiyuSinden) 2017年9月15日
例大祭「だらだら祭」の御朱印をいただきました。書置きになります。
新作の御朱印帳ありましたが今回は見送り。 pic.twitter.com/YLBh90p0Jo
金運アップは貯金塚で!
こちらは貯金塚。手を合わせておけば金運アップのご利益があるかもしれません。明治から昭和を生きた銀行家・牧野元次郎氏と彼が創業し頭取を務めた不動貯金銀行(のちにりそな銀行)の碑です。芝大門に銀行の本店があった縁でここに建てられたようです。
関東大震災の折、東京は焼け野原になってしまったため政府が銀行のために支払猶予令を発布したのですが、牧野は預金者の為、信念で求めに応じ全額払い戻しを断行したことを讃えています。大黒様が描かられているのは牧野が大黒信仰に基づいた「ニコニコ主義」をモットーに預金者に貯金の重要性を説いて業績を伸ばしたことにちなんでいるようです。かなり、スピリチュアルな人だったんですね。
碑に刻まれた「根気 根気 何事も根気」は武者小路実篤の銘が打ってあります。武者小路には「牧野元次郎」という著作があるのでこの言葉の深い意味はおそらくその中に書かれているのだと思います。
噂の千木箱(ちぎばこ)
芝大神宮で昔から授与している縁起物だそうです。(初穂料は神社さんの都合もあると思うので消しておきました。)雑誌やTVなどで紹介され、縁結びのお守りとして人気に火が付いたのだとか。千木(ちぎ)は神社の屋根のてっぺんについてるバッテンの所で、昔はその材木を利用していたことから千木箱(ちぎばこ)と名前がついたそうです。あんなところだけじゃ何個も作れないような気もしますが・・・。
千木と千着が同じ音なので、千の着物を着れるようにとタンスに入れておくものらしく、自力でなら金運、他力でなら玉の輿の良縁に恵まれるという縁起物です。ちょっとかさばるなあとか思ってはいけません。ありがたいお守りです。
東京十社に選ばれる
明治の時代がこれから始まるという明治元年、明治天皇が東京の安寧と国家の繁栄を祈祷するため芝大神宮を含んだ十社を「准勅祭神社(じゅんちょくさいじんじゃ)」と定め、使者を派遣し参拝させ祈願しました。
最近の神社ブームで、その東京十社巡りをする神社ファンは多く、十社の御朱印集めや絵馬集めも人気です。
東京十社 = 根津神社、芝大神宮、神田神社、日枝神社、亀戸天神社、白山神社、品川神社、富岡八幡宮、赤坂氷川神社、王子神社。
アクセス
大門駅から徒歩2分です。
駐車場はないので公共交通機関の利用をおすすめします。
最後までご覧いただきありがとうございました。