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神仏習合。仏と神は一緒ですって言われてみんなが納得できた理由。

神社参拝をしていると神仏習合という言葉によく目にします。これは神様と仏様を一緒にしてしまう宗教観だとはなんとなくわかっていましたが、どんなふうに混ざり合ったのか、いつごろからなぜそんな不自然な形になったのかは調べずじまいでした。まとめてみたのでご覧ください。

 

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仏様のほうが優しいでしょ!

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仏教が伝来したのは500年代頃(あるいはもっと前)と言われています。仏様は最初はただの隣の国の神様という認識だったのですが、日本人がだんだん仏教がどんなものか分かってくると日本の神様より仏様の方が上なんじゃないかと思うようになってしまいます。(当時の人の気持ちになってみれば、おそらく仏様は慈悲の心で民衆を受け入れ見守ってくれるのに、日本の神様は何かあるとすぐ怒って飢饉とか洪水とか起こすよな、なだめるのも大変だし、まだ解脱できてないんだな、という気持ちになったんじゃないでしょうか。)7~8世紀になるとさらに仏教への理解が深まり、神様も人間と同じように悩み苦しみ解脱を望む存在だとして考えられるようになっていきます。

 

その頃には神託によって仏門に入りたいと意思表示する神様も現れたと記録が残っています。他にも神前でお経が読まれるようになったり、姿かたちのない存在とされていた神様を神像で姿を表現するようになってきたりと、徐々に神道の中に仏教が侵略していき、伊勢神宮、鹿島神宮、賀茂神社など誰でも知っているような神社にも神宮寺という神社に付属した寺院が建てられるようになっていきました。これは宗教的な魅力はもちろん仏教僧は律令制の思い重税を免れることができたという経済的な理由もあったそうです。

 

 

 

神様は仏様でしょ!

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 そんな中、10世紀ごろ出てきたのが本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)です。神様は仏様が民衆を救うために地上に顕れた姿だという考え方です。これは仏教のほうが上だという認識に基づいており、神様も八幡大菩薩のように神名の後に菩薩をつけるようなケースも出てきました。また、金毘羅権現白山権現などの権現は仏が神になって現れた姿という意味で本地垂迹説から生まれた呼び方です。あくまで神と仏は別々のものだったのがここでついに一体になってしまったのです!

 

  しかし、そういった仏教上位の考え方の反動で出てきたのが神本仏迹説(しんほんぶつじゃくせつ)です。鎌倉時代末期ごろ(14世紀前半)に神道関係者の側から出てきた考え方で仏は神様の仮の姿だとする説で、この考え方が明治の神仏分離まで続くことになります。日本古来のものを尊重するようになった現代の日本人にとってはこの考え方が一番すんなり受け入れられるのではないでしょうか。

 

 

 

 

まとめ

 仏教伝来から少なくとも1500年近く経っていることになりますが、1300年ぐらいは神道と混ざり合った状態で発展してきたということです。現代から見たら神道と仏教が混ざりってるってどういうことなんだ?と不自然に感じますが、むしろこの1500年ではしっかり分かれている方がレアなケースだということがわかります。この2つは切っても切り離せない1300年のつながりを持つと知って神仏習合の名残を探してみるのも面白いかもしれません。

神と仏の関係をどうとらえるか、人それぞれですが、参拝好きの方は自分にあう考え方を選んでみたり、自分なりの考え方を探してみてはどうでしょうか

 

 

 <本の紹介>神様と仏様がどのように結びつき、離れて来たか、様々な研究者の見方を引用し、有史以来の日本の信仰の形を客観的に解説してくれるおすすめの一冊です。中盤で基礎知識がないとよくわからないゾーンに突入しますが、ざっと読んで全体の流れをつかむだけでも勉強になります。

神道とは何か - 神と仏の日本史 (中公新書)

神道とは何か - 神と仏の日本史 (中公新書)

 

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!