埴輪の穴は何のため?
上野にある東京国立博物館に初めて行ってきました。3時間ぐらい滞在したのですが、広すぎてとても全ては見きれませんでした。考古館には土偶や埴輪が山ほどあってその一つ一つに見入ってしまいます。そこでまず感じたのは埴輪って土偶と造形に連続性がないなということでした。全く異文化の造形物といった感じで古墳時代に、文化の流入があったのか、渡来人が渡ってきたのかはわかりませんがとても大きな変化があったことが想像できます。
ところで、埴輪を見ていて思ったんですが、なぜ穴が開いているんでしょうか?そういえばあの独特な顔も穴で描かれています。何か特別な理由があるのでしょうか調べてみました。
埴輪の起源は特殊器台?
Wikipediaより転載
Saigen Jiro - 国立歴史民俗博物館展示。撮影可能下でSaigen Jiroが撮影。, パブリック・ドメイン, リンクによる
特殊器台(とくしゅきだい)とは弥生時代後期に生まれた器を載せる台のことで、祭祀などでお供え物を載せるために使われていたと考えられています。最初は小さいものでしたが、徐々に大きいものになり、それにつれて穴の開いた模様(透かし孔)がつけられていったようです。このことから装飾性はもちろん、火の通りをよくするための工夫だったと考えられます。確かにこんなに大きい物を焼くのはなかなか大変そうです。
埴輪はその後の古墳時代に生産されるのですが、特殊器台が起源になっていると考えられ、やはりそのサイズから同じように穴をあけることで中の空気の膨張を防ぐためや、短時間に焼きあげるための工夫だったと考えられます。
一説では、埴輪を使う前は王族の古墳の周りに人間を人柱として埋めていて、それはさすがにひどいということで代りに埴輪が埋められたと言われていると聞いていたので、何か魂が入ったりとか出たりとか、そういうスピリチュアルなことを想像したのですが、どうやら穴には現実的な理由があったようです。
ここまで調べてきてまず、埴輪の起源が日本だったことに驚きました。なんとなく中国から伝わったものだと思いこんでいたのでそちらも少し調べてみました。
秦の始皇帝(紀元前259年~紀元前210年)の時代の頃にはすでに兵馬俑(へいばよう)という習わしがあったようです。こちらは完全に人柱の代りに使われていたようです。
Wikipediaより転載
Wikipediaより転載
一概に比較はできませんが古墳時代(西暦250年~538年)よりかなり前のものにも関わらず、規模、クオリティー共に大きく離されているように感じてしまいました。この辺の時代は日本側に記録がないので何とも言えませんが、正直王族の祭祀に関しては中国の文化を吸収しながらその背中を追いかけていたのではないかと思いました。
引き続き疑問があれば調査していきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました!