石工が恐れた血の痕とは。万治の石仏(長野県諏訪郡下諏訪町)
あの画家・岡本太郎がその姿かたちを愛してやまなかったといいう万治の石仏。岡本はこの石仏を拝むため何度も下諏訪町を訪れたといいます。また、作家の新田次郎はこの石仏の姿に感嘆し、着想をえて「万治の石仏」という小説を書いています。名だたる芸術家を魅了したこの石仏は諏訪大社下社「春宮」からほんの少し離れた場所にひっそりと鎮座しています。
浮島社で身を清める
春宮の境内を左側にぬけると石仏に向かう小道があります。案内板に従って進むと浮島が見えてきて、朱色のかわいらしい橋で川を渡ります。
振り返って浮島を見るとこんな感じです。大きな船みたいになっています。
ここには浮島社(うきしましゃ)が置かれており、祓戸大神(はらえどのおおかみ)が祀られています。
祓戸大神は「祓(はらえ)」を司る神様です。「祓」とは身の罪や、穢れ、厄災などの不浄を祓い清めること。年に2度の大祓(おおはらえ)の神事ではこちらの社殿の前に「茅の輪」が設置されるそうです。
(茅の輪とは↓)
一茶も一句読みたくなった。
長野県出身の俳人・小林一茶の句碑が置かれています。
「一番に 乙鳥(つばめ)のくぐる ちのわ哉」
神事の準備をしているところに、ピュンと低い所を飛ぶツバメが偶然茅の輪をくぐり、みんなが笑い合ってる情景が目に浮かびます。
いよいよ石仏
浮島から100mほどのところに石仏はいました。
こちらが地元の観光協会・商工会が提案する参拝方法です。
この日も訪れた人たちがぐるぐる石仏の周りを回っていました。当然私もぐるぐる回って手を合わせてきました。
「よろずおさまりますように!」
「よろずおさまりました!」
石仏にまつわる恐ろしい伝説とは
この石仏は江戸時代に彫られたものです。当初、この巨石は石鳥居を建造するためにノミを入れ掘りだしたのですが、なんとそのノミの痕から血が流れ出てきて、それを見た石工達が祟りを恐れて作業をやめてしまったという伝説があります。その後、石の霊を鎮めるため表面に阿弥陀如来(あみだにょらい)の絵を彫ったのだとか。
確かに石仏を彫るなら、もっとちゃんと彫った方がいいようにも思えますが、恐る恐る表面を彫ったんだなと思えば、この表面に描くような手法も納得です。
ちなみに、調べてみると全国には各地に石から血が出てきたという伝説があり、それらの石の現在の姿を見ると、祟りを恐れ丁重に祀られており、ピリピリとした空気があるものばかりでした。観光資源になっている万治の石仏はこんな楽しい扱いで大丈夫なのだろうかと少々不安に思ってしまいました(笑)
石仏に失礼のないようにしましょう!
駅の中にも石仏が
下諏訪駅の中にはクオリティーの高い偽物があります。
キセルなんてしたら天罰がくだります!(というより犯罪です。)
以上、万治の石仏リポートでした。
最後までご覧いただきありがとうございました!
動画もあります↓