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御渡りはいつどこにどのようにできるのか。

御神渡りとは全面結氷した諏訪湖の氷が、昼夜の寒暖で収縮したり膨張したりすることにより割れ、1mほどせりあがった氷が山脈のように湖面を走る現象のことをいいます。その様子は神様が渡った跡であるとして「御神渡り」の名がつけられています。この現象は寒ければいいというわけではなく、湖の大きさや深さなどの条件が整わないと出現しないため、本州では諏訪湖でしか見ることができないと言われています。そんな御神渡りの瞬間をなんとか見れないかと思い、まずは御神渡りについて調べてみました。

 

 

 

御渡りの出現する時期

御神渡りは1~2月に見られることが多いと言われています。2000年以降2021年までの御神渡りが出現した年は2003・2004・2006・2008・2012・2013・2018年の7回です。具体的な日付は以下の通りです。

 

2003年 1/17

2004年 1/29

2006年 1/9

2008年 1/30

2012年 2/4

2013年 1/22

2018年 2/1

 

ご覧のように近年の御神渡りは1月下旬から2月上旬に起こる可能性が高いようです。タイミング的に今年(2022年)あたりそろそろ見られてもよさそうですが、最近は温暖化の影響もあるのか湖面が全面結氷することも珍しくなってきています。

 

御神渡りの出現する気象条件

御神渡りが出現する過程を説明します。まず諏訪湖が全面結氷します。

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そこからさらに寒さが増すと、湖面の氷が収縮して亀裂が生まれます。

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そのまま寒さが続くと亀裂を埋めるように再凍結し、今度は逆に寒さが緩むと氷は膨張し始めます。

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そうすると湖面に両側から膨張圧力がかかり、逃げ場のなくなった氷が亀裂部分に沿うようにせりあがり御神渡りが出現するというわけです。

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この状態を作るには、諏訪湖の氷の厚さが10㎝以上になり、かつ最低気温がー10℃程度の冷え込みが数日続く必要があるそうです。気象庁のデータを見てみると、2020年までの30年間の諏訪の平均最低気温は1月は-5.5℃で2月が-5.0℃となっています。ただ、最近は温暖化の影響かそれほど寒さが続かなくなってきているので、気象条件が整うのは年々難しくなっているようにも感じます。上記のように御神渡りができない年も多く、地元では出現しなかった年を「明けの海」と呼んでいます。

 

 

氷が厚くなりやすい日はどんな日?

もちろん寒い日なんですが、氷が育つには天気にも影響を受けます。

まず、風が強いと氷ができにくいです。川の動いてる水が凍りにくい事からも分かるように水に動きがない方がいいようです。

意外だったのは雪の日。イメージで雪で氷を強化してくれるような気がしたんですが、氷を覆った雪が氷点下の冷たい空気から氷を守ってしまいます。雪で作ったかまくらの中が温かいのからもわかりますね。

曇った日も空気中の水分が日中の温かさを地上に閉じ込めてしまうそうなので、結論としては湿度の低い晴れた風のない寒い日が続くのが御神渡りへの近道のようです。

 

御神渡り出現スポット。

まず諏訪湖は氷上は絶対立入禁止です。昔、お子さんが落ちて亡くなられた事故もあったので、遊び半分で乗ったりするのはやめたほうがいいです。といっても乗る人は乗るので、市の職員さんや警察が見回り注意していましたが、他の仕事ができなくなるので地元民としてはそういった迷惑行為はやめていただきたいです。あくまで湖岸からの観察をおすすめします。

 

 御神渡りはランダムにどこでもできるわけではなくある程度できる場所が決まっています。南北を縦に2本走る筋を「一の御渡り」「二の御渡り」、東西に走る1本を「佐久の御渡り」と呼びます。

 

例えば近年の御神渡りの場所を地図に表すと下のようになります。

緑「一の御渡り」

ピンク「二の御渡り」

黄色「佐久の御渡り」

 

2018年

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2013年

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2012年

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2008年

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2006年

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多少無理やり感は否めませんがこのように3本そろうと御神渡りができたと認定されます。北側のぼこっと張り出した湖畔は赤砂公園の辺りになり、南側の上川の河口と結ぶラインが御神渡りが起きやすい起点になっていることがわかります。

 

御神渡りは神様が渡る道?

諏訪湖の南には諏訪大社上社、北には諏訪大社下社があり、「一の御渡り」「二の御渡り」は上社の男神が下社の女神に会いに行った足跡とされています。諏訪大社に祀られているの男神と女神と言えばタケミナカタノミコトの姫神のヤサカトメノミコトです。一方「佐久の御渡り」は諏訪湖の西にある小坂鎮守のシタテルヒメ(タケミナカタの姉か妹神)と佐久の新海三社のオキハギノミコト(タケミナカタの子神)が湖上で面会した跡だとされています。諸説ありますが、叔母さんと甥が湖上で会うって全くロマンチックじゃないなと思ってしまいました。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。

このページには御神渡りの写真がありません。御神渡りが出現したら必ず、撮りに行ってアップします。

 

御神渡りはないですが、凍った諏訪湖の周りを自転車で一周してみたのでよかったらご覧ください。


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穂高神社に祀られる神々

 今回は長野県安曇野市穂高にある、穂高神社に祀られている神様を紹介します。あまり祀られている所をお見かけしない珍しい神様もいらっしゃるので興味のある方は是非ご覧ください。

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<穂高神社 本宮>

 

 

本殿の御祭神

 

ご祭神

拝殿の奥には4つのお社が見えます。祀られている神様はそれぞれ

・穂高見命(ほたかみのみこと)

・綿津見命(わたつみのみこと)

・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)

・天照大御神(あまてらすおおみかみ)

の4柱です。

 

天照大御神は言わずと知れた皇室の祖神とされる太陽神です。瓊瓊杵尊はいわゆる「天孫降臨」の「天孫」として知られているように、天照大御神の孫神として天の神様達を引き連れ、地上に降り立った神様です。綿津見命海を司る神様で、穂高見命はその子神にあたります。また綿津見命の2人の娘は、それぞれ瓊瓊杵尊の御子神、孫神と結婚しており、御祭神の4柱の神様は人間でいうところの姻戚関係にあたり、非常に縁の深い神々です。

 

特に穂高見命はこの安曇野と縁が深く、古代この一帯を支配し、この地の名前の由来にもなっている安曇族の祖神とされており、穂高岳に降臨しやってきた神様といわれています。

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(長野県松本市上高地から見た穂高連峰)

上の写真が穂高見命が降臨したといわれる穂高連峰ですが、確かに神様が降りてきやすそうな滑り台みたいな形です笑。

 

 

安曇比羅夫(あずみのひらふ)

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それでは境内の摂社末社に祀られている珍しい神様を見てみましょう。まずは上の写真のこの方。若宮社と呼ばれる社殿で祀られている阿曇連比羅夫あづみのむらじひらふ)です。境内にはご覧のように立派な像が置かれ、人物か紹介されています。

 

以下由緒書きによると

大将軍大錦中(だいきんのちゅう)阿曇連比羅夫は、天智元年(662年)に天智天皇の命を受け、船師(ふなし)170艘を率いて百済の王子豊璋(ほうしょう)を百済に護送、救援し王位に即かせます。天智二年に新羅・唐の連合軍と戦いますが白村江で破れ、8月戊申(つちのえのさる)27日戦死してしまいます。このことが9月27日の例祭(御船祭)の起因とつたえられており、今でも比羅夫は阿曇氏の英雄として若宮社に祀られ、英智の神と称えられています。

<参考>境内掲示

 

※大錦中(だいきんちゅう)ー 664年から685年まで日本で用いられた冠位。26階中8位で上が大錦上、下が大錦下。

※連(むらじ)ー 大和王権における豪族の姓(かばね)の一つ。数十種類あり、臣(おみ)、連(むらじ)が特に尊敬され、大臣(おおおみ)、大連(おおむらじ)は国政の中枢を担った。

船師(ふなし)ー水上兵力の呼び名。

 

分かりづらいので簡単に説明すると

”倭国(日本)が唐・新羅連合軍と戦った「白村江の戦い」の際、安曇族の阿曇連比羅夫は将軍として170艘の水軍を引き連れ百済の王子を百済まで送り届け、唐・新羅と激戦し、戦死した。その命日が穂高神社で行われる御船祭の祭日の起源となっている。”

ということです。

↓当時の朝鮮半島の勢力図。白村江の戦いで結局百済は滅ぼされてしまいました。比羅夫の活躍の詳細は説明されていませんが倭国の、安曇族の偉大な将軍だったのでしょう。

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日光泉小太郎(にっこういずみこたろう)

 

f:id:kenkobit:20220106172604j:plain(犀龍にまたがる日光泉小太郎)

 

続いてこの方。

こちらも由緒書きによると、

大昔この安曇野一帯が漫々と水を湛えた湖であった頃、この湖に犀龍(さいりゅう)と云う者が住んでおりました。この犀龍と東高梨(今の須坂市高梨のあたり)の地に住む白龍王との間に男の子が生まれましたので、日光泉小太郎と名付けました。

母の犀龍は自分の姿を恥じて水底深く隠れ住んでおりましたが、小太郎は母をたずね探し熊倉下田の奥の尾入沢と云う処で初めて母に逢うことが出来ました。

この時犀龍は「私は諏訪大明神の化身である、これからお前と力を合わせて、この湖の水を落とし陸地として人が住めるように致しましょう」と語って山清路(さんせいじ)の大岩を突き破り、更に水内(みうち)橋下の岩山を開いて安曇、筑摩両郡にわたる平野を作り上げ、それ以来この川を犀川と呼ぶようになったと伝えられています。

また、小太郎の父白龍王は海津見神(わたつみのかみ)であり小太郎は穂高見命(ほたかみのみこと)の化身といわれ、治山治水の功績を称えております。

ということです。位置関係がわかりずらいので下の地図に示しました。

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安曇野が湖だったというのはあくまで伝説ですが、この辺りは大昔はフォッサマグナという日本を東西に分ける海溝で、海とつながっていたことがわかっています。今でこそアルプスに囲まれた山岳地ですが、安曇野平に位置する松本市では1500万年前の海に溜まった泥岩層からマッコウクジラの化石が見つかっています。

 

そして下の図が犀川とそれにつながる河川です。北側に向かって流れ、新潟に入り信濃川となり、日本海に流れ出ます。安曇野にたまった水を小太郎と犀龍が岩を壊しつつ北に抜いていったという伝説が生まれた地形的なイメージがつかめると思います。

f:id:kenkobit:20220106172423j:plain犀川の由来は犀龍と書かれていますが実際には諸説あるようで、犀川の名が先なのか犀龍の名が先なのかはわかりませんでした。

 それにしても犀龍が諏訪大明神だというのは、諏訪大明神が女神になっており、ちょっとこじつけじゃないかなと思ってしまいました。しかし、諏訪大社下社にも穂高神社と同じように御舟祭があり、人形を乗せた船を街中で曳きまわしたり、境内を3周したりする類似性があります。どこかの時代で安曇野と諏訪の信仰につながりがあったことは想像できます。

 

ものぐさ太郎

そしてこちらの方。

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右で寝転がって顔を出してるのがものぐさ太郎。左は地頭の御一行。物語のワンシーンが絵本型の石碑になっていました。

 

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読みづらいですが、あらすじは上の写真の由緒書きより。

 昔この地にものぐさ太郎という男が草葺(くさぶき)の小屋に寝転がって暮らしていた。ある日、太郎は里人から貰った餅の一つを過って道に転がしてしまい、通りがかった地頭に拾ってくれとたのんだ。太郎のものぐさぶりに感心した地頭は、里人たちによく養うように命じた。三年の月日が経った。この村にも夫役が割り当てられ、太郎はそれを引き受けて都にのぼり、秀でた才能が大宮人に知れて時の帝に仕え、信濃中将となって故郷に錦を飾り、甲斐、信濃両国を治めた。

 太郎は穂高神社を造営し、百二十歳の春秋を送り、この神社の境内に若宮社の相殿神として祀られ、延命長寿・財宝沢山・立身出世の守神として信仰をあつめている。

 

ものぐさ太郎(信濃中将)が祀られる若宮社。

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先ほど紹介した阿曇比羅夫と共に祀られています。

こちらの立て看板によるとものぐさ太郎は文徳天皇( 827-858年)の御代の人物とされているので平安時代の人のようです。石碑の方には立身出世のご利益があると記載がありますが、長野では出世の神様はあまり見かけないので信州の野心家の方は是非参拝してみてください。

 

ステンレスの道祖神

f:id:kenkobit:20220106172305j:plain安曇野は市町村別の道祖神の数が日本一で道祖神の街として知られています。上の写真は長野県が男女とも長寿日本一になったのを記念に彫刻家の中島大道氏の手により制作されたステンレス道祖神です。

境内には昔ながらの道祖神も集められ祀られていました。

↓これは道祖神には珍しく躍動感があり好きです。

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↓シンプルな味わい深い道祖神。

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最後までご覧いただきありがとうございました。安曇野は個性的な信仰があり調べていても面白かったです。その中心である穂高神社はこの本宮のほかに、上高地に奥宮穂高岳の頂上には嶺宮(みねみや)があり、非常に奥の深い神社です。長野にいらした際は是非訪れてみてください!

 

↓ちなみにこちらは上高地の奥宮の御舟神事を見学した際の映像です。ぜひご覧ください。


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令和3年8月15日の諏訪湖の内水氾濫で気づいたこと。

以前、釜口水門の治水能力について調べて記事を書きましたが、今回の豪雨で気づいたことなどまとめてみましたのでよかったらご覧ください。

 

 

過去記事はこちら↓

 

 

 

 

目次

 

 

諏訪湖の治水能力の想定

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(8/15の釜口水門の様子)

 

過去記事で釜口水門の治水能力を考える際に2つの数値に注目しました。

 

計画高水位(けいかくだかすいい)と放水量です。

 

計画高水位とは護岸工事などする時に、そこまで上がることを想定する水位のことで、それを超えてしまうと危険な状態に陥ってしまいます。一方、放水量は諏訪湖の唯一の排水河川である天竜川に釜口水門からどれだけ放水しているかを知ることができる値になります。

 

過去記事にあるように諏訪湖の計画高水位は2.2m、限界放水量は毎秒430㎥でした。そこで、私は諏訪湖の水位が上がってきた際に次のようなツイートをしました。

 

 (※釜口水門のライブカメラ。これかなり使えます!→釜口水門管理システム

 

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 そして、こちらが豪雨があった8/14~8/16にかけての湖水位と放水量の変化です。

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<データは→釜口水門管理システム(諸量)より引用>

 

時間が表の下から上に流れるので少し見づらいですが14日から15日の昼頃まで水位が上がり続け、湖水位1.87mを頂点に少しずつ下がっていくのが見てとれます。

 

ここで計画高水位の2.2mまではまだ大分余裕があることがわかります。それでは今回の豪雨で諏訪湖畔に被害はなかったのでしょうか?

 

 

 

今回の豪雨による被害(8月16日時点)

詳細はまだ発表されていませんが16日の報道 によると、今回の豪雨で大きなものでは岡谷市では土砂崩れで3名の方が土砂に埋もれ亡くなってしまったのをはじめ、諏訪市でも十数か所の冠水、下諏訪町でも道路の水が中央線に流れ込み冠水し運休する事態になっています。私自身も15日に岡谷市、下諏訪町、諏訪市の湖畔の大通りで道路が冠水し、一部通行止めになっているのを何か所か目にしています。

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 (8/15 下諏訪町の道路冠水の様子)

実際に諏訪湖は溢れることはなかったわけですが、このような被害が起こったのは短い期間に想定の雨量を越えたことに原因があります。

内水氾濫と呼ばれるものですが、諏訪湖の水位が増してくると諏訪湖の水に押され、諏訪湖に流れ込む川や用水路の勢いが失われ水位が上がり、越水してしまうのです。また下水管に大量の雨水が入り、マンホールから噴き出してしまったり、排水溝による排水が間に合わなかったりして、低い土地に水が流れ込み冠水してしまいました。

テレビでは諏訪市の一階店舗の排水が逆流し、店内が水浸しになってしまっている映像が流れていましたし、JR東日本の中央本線では下諏訪町の諏訪湖畔を通る線路に、山側の道路から泥水が流れ込み数十メートルにわたって冠水してしまいました。つまり、いくら諏訪湖が溢れなかったとしても、短時間に排水能力を超える雨が降ってしまえば堤防の外でも浸水被害は起こってしまうのです。

 (追記:被害メモ  ◎岡谷市/第一次調査/床上浸水10件/床下浸水187件)

 

 

なぜ放水量を上げなかったのか

ここで一つ疑問が湧きます。先ほどの表を見てもらうと放水量は350㎥台で止まっています。湖水位が上がったために河川などが越水してしまったのですから、もっと限界放水量の430㎥に近い放水をして、水位を下げるべきではなかったのでしょうか。

 

ところがことはそう単純ではなく、実はこの時、天竜川は危険水位に達していていつ氾濫が起こってもおかしくない状態だったのです。

 

下の画像はYahooの河川水位情報(リンク→天竜川の水位情報 - Yahoo!天気・災害)です。

 

これは15日の朝5時ごろにスクショしたものですが、この時点ですでに紫色で表示されていることからわかるように危険水域に達していたのです。

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つまり、広い範囲で大量の雨が降って天竜川の水位が上がってしまうと、天竜川の受け入れられる放水量は想定を大きく下回ってしまうのです。今回の放水量の限界が350㎥だったのはそのためでした。結果、諏訪湖畔では浸水被害がありましたが、天竜川は危険水位をなんとか維持し、氾濫することはありませんでした。各地の被害のバランスを見たギリギリの判断が迫られていたのです。

 

 

総雨量は前回の平成18年豪雨を越えたのか

平成18年7月17日~19日の3日間にわたる豪雨では総雨量400ミリに達し、諏訪湖が想定していた水位を超えてしまい大洪水がおこりました。2541戸が浸水し、JR中央本線、国道20号線も37時間に及び全面通行止めになり、さらには天竜川の流域でも堤防決壊による被害が生じてしまいました。

 

今回(令和3年)の豪雨の諏訪湖流域の累計雨量は以下の通りです。

(わかりずらいですが表の下から上に時間が進んでいます。)

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<データは→釜口水門管理システム(雨量)より引用>

 

 というわけで、今回の総雨量は最大で266㎜でした。平成18年の400㎜がどれだけ凄かったかがわかります。

このことでわかったのは、前回の豪雨の後、諏訪市の川の氾濫や、天竜川の決壊を防ぐため国と県を挙げて護岸工事を取り組んだわけですが、今回くらいの雨でも短時間に大量の雨が降れば、ある程度の浸水被害は防げないということです。今の亜熱帯のような気候を鑑みると、また同じようなことが近々起こってもおかしくないと思います。護岸の対策とは別に自分や家族の命、財産を守る対策を考えた方がよさそうです。

 

 

一番怖いのは土砂崩れ

今回の豪雨でお亡くなりになられたのは土砂崩れにより埋もれてしまった方たちでした。多くの方が亡くなった2021年7月3日におこった熱海市での土砂崩れを見ても分かるように、残念ですが土砂崩れは巻き込まれてしまえば逃げようもなく、命を奪われる可能性が非常に高い災害です。

 

氾濫による浸水被害の場合は、避難するかどうか状況を見て判断する時間的猶予があります。しかし、土砂災害は一瞬で状況が変わるためいつ避難すべきか、タイミングが非常に難しいと感じました。

 

今回の岡谷市川岸で起こった土砂崩れも15日の午前5時ごろに発生しましたが、先ほどの雨量の表を見ても分かるように、雨は前々日13日の朝に降りだしたので何日も長雨が続いたわけではありませんでした。私も土砂崩れが起こるならもうちょっと先だろうと高を括っていました。実際には大量の雨であれば一晩二晩で状況は変わってしまうのです。

 

 

土砂崩れの場所は岡谷市の川岸駅前でしたが、山の近くにお住いであれば次はどこで発生してもおかしくはありません。これだけ山だらけの県だからまさか自分のところで起こらないだろうと思ってしまいがちですが、これを機に「○年に一度の豪雨」の時など、少しでも不安になる要素があれば早めに避難所や、近くの頼れる方のところなどに避難することを考えてみてください。

 

 

危険を知るためのツール

気象庁のキキクルのサイトではその時の土砂災害の危険度や想定される危険地帯を確認することもできます。

気象庁 | キキクル(危険度分布)

 

 

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自分の住んでいる地域を拡大してサイト内の4つのボタン↑の内、一番左を選ぶとその時の危険度が色分けで表示されます。また、一番右のマークをクリックするとそもそもの危険地帯が表示されますので簡易的なハザードマップとしても使えます。

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(キキクルの画像です。赤丸は私が色を付けました)

これはブログ作成時の状況なので当時と危険度の色分けとは違いますが、赤丸を付けたところが土砂崩れが発生した場所です。暗く塗りつぶされた部分が危険地帯を示しているので、やはり川岸駅前は元々危険な場所だとされていたことがわかります。

地域のハザードマップやこういったツールを是非活用してみてください。

 

ちなみに河川の水位の危険度はキキクル左から三番目のボタンをクリックすれば見れますし、先ほど画像で紹介したヤフーの河川水位情報でも確認できます。特にヤフーの方は複数個所に設置されたライブカメラで河川の状況が確認でき、川の水位もやはり複数個所に分けて表示されるので、どこが危ないのかひと目でわかり今回非常に重宝しました。いざという時ぜひ使ってみてください。

 

加えて、キキクルでは今後の雨量予測も確認できます。

気象庁 | 今後の雨(降水短時間予報)

 

最後までご覧いただきありがとうございました。

 

豪雨の翌日の8月16日に諏訪湖の周りの様子を撮ってきたので参考になれば幸いです。


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茅の輪(ちのわ)くぐりの由来とは?

6月後半になると下の写真のような「茅の輪(ちのわ)」をよく見かけます。参拝作法は神社によっては案内掲示があるので知っている方も多いと思いますが、由来まではなかなか知る機会がないと思います。よかったらご覧ください。

 

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2021年6月30日 諏訪大社下社春宮 (長野県諏訪郡下諏訪町大門)

 

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2018年1月 市谷亀岡八幡宮 (東京都新宿区市谷)

 

 

 

茅の輪(ちのわ)くぐりとは?

「茅の輪くぐり」とは茅(かや)などの植物で作った「茅の輪」をくぐることによって、心身を祓(はら)い清め、厄除け、無病息災などを祈願する儀式です。

神社では6月と12月の末日に世間万民の罪穢れを清めるため祓(おおはらえ)」の神事を行うのですが、6月の大祓は特に「夏越の祓(なごしのはらえ)」とも呼ばれ、6月30日の前後の一定期間、境内に「茅の輪」が設置されるのです。また、6月の「茅の輪」が一般的ですが、神社によっては12月の大祓の時にも設置するところもあるようで、上の写真を見ていただくと分かるように、1月の亀岡八幡宮に参拝した際にも茅の輪を見かけました。

 

 

茅の輪の由来とは?

この「茅の輪」は祇園祭りで有名な八坂神社(やさかじんじゃ/京都府)の御祭神・牛頭天王(ごずてんのう)の逸話に由来があるようです。牛頭天王は釈迦が説法を行ったといわれる祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神とされますが、日本ではスサノオノミコトと同一神ともされている神様です。

 

牛頭天王には次のような説話があります。

 

「大昔のこと、南方の国に嫁を貰いに旅をしていた武塔神(むとうしん/牛頭天王のこと)が、一晩泊る宿を探していました。ちょうどよさそうな村があったので武塔神は旅人の姿に化身し、裕福そうな家を見つけ外から声を掛けました。すると中から主人の巨丹将来(こたんしょうらい)という人物が出てきたので、一晩泊めてくれるようお願いしました。しかし、巨丹はそれを無碍に断り追い返してしまいました。武塔神はあきらめ、仕方なく今度は粗末な家の戸口を叩き、泊めてもらえないか尋ねました。偶然にもそこは巨丹の兄・蘇民将来(そみんしょうらい)の家だったのですが、蘇民は快く了承し、貧しいながらも粟飯で精一杯もてなしてくれたのです。

数年後、嫁を娶り子をなした武塔神が再び蘇民将来の前に現れ、自分が神であることを明かします。そして、かつて一晩泊めてくれたお礼に「茅(ちがや)で作った輪を身に着け、蘇民将来の子孫であると唱えれば無病息災が約束されるだろう。」と除難の法を授けて立ち去っていきました。言われた通りにやってみるとそれ以来、蘇民将来とその子孫達は巨丹をはじめとする村人達が飢饉や疫病で苦しんでいるときも、その災厄を免れることができたと伝えられています。」

 

牛頭天王に関する 似たような説話は全国各地にあるようですが、話の流れはだいたい同じです。この話しの中で除難の法につかわれた「茅で作った輪」が茅の輪の由来で、はじめは小さい物を身につけたり、あるいはフラフープのようにひとりずつくぐらせたりする風習だったそうですが、江戸時代には現在のように歩いてくぐるような大きなものが文献に見られるようになったそうです。この無病息災の儀式が大祓の神事と融合し、現在のスタイルになっているのです。

 

この「蘇民将来」の話は各地で語られ、岩手の裸祭りで有名な「蘇民祭」の由来にもなっていますし、伊勢周辺などでは玄関のしめ縄に蘇民将来という木札をつけて飾るところがあるのですが、それもやはり「蘇民将来の子孫なので厄災を近づけないでください」と祈願する風習なのだそうです。

蘇民将来は全国各地で無病息災のシンボルとして親しまれています。

 

あとどうでもいいですけど、蘇民と巨丹の名前がなぜ先に来るのかはわかりませんでした・・・。

 

 

茅の輪のくぐり方

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くぐり方の図を作成する技術がないので、亀岡八幡宮の写真を無理やり引き伸ばしました。見づらくてすみません(´・ω・)スマソ この写真のように∞の形に茅の輪をくぐります。左右左と計4回(最後に通り抜けるので)くぐるのが一般的ですが、神社により回数や順番が違ったり、そもそも回り込めないよう両脇がふさがれていて、ただくぐって通り抜ければいいだけのところもあります。写真のように案内があればいいですが、何もなくて両脇が回り込めるようなら一般的な作法でやってみてください。また、茅の輪をまたぐときは、その度ごとに一礼をするのが正式な作法のようです。

 

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諏訪大社下社春宮 「茅の輪」の案内板

 

 以上、「茅の輪くぐり」の由来などについてのレポートでした。知ってからくぐるとまた気分が違ってくるのではないでしょうか。上半期の穢れを落とし、新たな自分で残り半年健やかに過ごしましょう!

 

こちらは2021年6月30日の大祓式(夏越の祓)の様子です。よかったらご覧ください。神事では茅の輪をくぐりみんなで列になって境内を一回りするなど普段より少し大掛かりです。


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【松本の治水】牛伏川(うしぶせがわ)の歴史を歩く。

知り合いがすごい良かったと薦めてくれたので、長野県松本市の牛伏川を散策しに行ってみました。リスに出会ったと聞いたのでワクワクして行ったんですが残念、今回見ることはできませんでした。その時に学んできた牛伏川の歴史が面白かったので紹介したいと思います。良かったらお付き合いください。

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牛伏川は松本平に流れ込む河川で、その護岸は明治から大正にかけ整備されており、2012年に重要文化財に指定されています。散策の様子は動画に撮ってきたのでこちらをどうぞ。

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下の地図の赤丸のところに無料駐車場があります。今回は一番スタンダードな青丸にある小屋まで川沿いをさかのぼるコースを歩いてみました。ペースにもよりますが、往復3㎞でおよそ一時間半ほどかかります。小屋の先も登っていくことはできますが、本格的な登山になり、今回は軽装な上、体力に自信がないので断念しました。(行きたいけど病み上がりなんです・・・。)

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こちらが牛伏川。階段のようにきれいに整備された護岸が美しい。

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これはフランス式階段工と呼ばれるフランス式の砂防施設です。牛伏川の源流は地盤がもろく、大雨などで土砂が流れ川底が上がってしまい、度々下流域に水害が起こっため、明治政府はフランスで土木治水学を学んだ池田圓男(いけだまるお)に牛伏川の治水事業を進めさせました。

 

見にくいですが、こちらが下流(松本平)に流れ込んだ土砂の様子。

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フランスで土木治水学を学んだ池田圓男(いけだまるお)。

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この治水設備は、階段状になっていることで川の傾斜が緩やかになり、水の勢いを弱め、下流への土砂の流出を防ぎます。下の写真は最初に見ていただいたフランス式階段工があった場所の堰堤(えんてい/治水のための設備)の様子です。

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今では見られない高低差のある巨大な堰堤です。しかし、これだと落差が大きすぎて水圧で落下地点の川底を削ってしまい堰堤が崩壊してしまう可能性があったため、先ほど見たような長い距離を使った段数の多い階段(フランス式階段工)に修正されたというわけです。

 

そして下の写真のような姿に改修されます。

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源流までこのような堰堤が大小100基以上設置されているのだそうです。

 

また、上の写真を見ていても気づいたかもしれませんが、この石畳よくよく見てみると、ただ石が無造作に置かれているわけではなく石垣のように整然とはめ込まれているのがわかります。

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空石積み(からいしづみ)の技法が使われており、コンクリートを使用していません。(下の写真左側)

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この緻密な職人技術が牛伏川の美しさの秘密なのかもしれません。こういった伝統的な技法が、令和の今もちゃんと治水の役割を果たし、松本平を守っていることを考えると昔の人達の知恵と技術に感服してしまいます。

 

とはいうものの、川をさかのぼっていくとだんだんと造りが荒くなっていくのがわかります。それは建造された時期によるのだそうです。予算が違ったのでしょうか?その辺はわかりませんでした。

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その違いはこんな感じで一目瞭然です。

↓源流に向かうほど石の形がばらばら。

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↓こちらは石の形がそろっていて美しい堰堤。

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このように歴史を勉強しながら歩くのも面白いですし、ただ歩いているだけでも空気が冷たく気持ちよく、様々な花が咲き、蝶が舞い、運が良ければリスやカモシカに会うこともできます。この牛伏川はめちゃめちゃおススメの散策スポットになりました!(お金もかからないし笑)お近くの方、特に松本の方は地元の水を守ってくれているこの場所にぜひ出かけてみてください!

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最後までご覧いただきありがとうございました!

Amazon オーディブルの無料体験はめちゃめちゃお得すぎる。

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退会してもダウンロードしたコンテンツは聞くことができるのがうれしいです。

 

さらにスマホアプリで聞くと以下のメリットがありました。

 

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・0.5倍速から3.5倍速まで読む速さを調整できる。

 

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オーディブルの欠点

オーディブルの最大の欠点は本を音読しているということです。なんのこっちゃと思うかもしれませんが、つまり口語ではなく文語のため、少し難しめな本だと言葉がなかなか頭に入ってきません。おまけにグラフや写真を用いるような本は「図を参照してください」とそのまま音読されるだけで参照する図や写真がどこにもないのです。

小説や読みやすい本なら問題ないと思います。

 

 

オーディブルのおススメ活用法

そこでおすすめの活用法は何度も読みたい手持ちの本を、耳からも頭に叩き込むという使い方です。

 

私は歴史が好きで、実際無料体験でダウンロードしたのは竹田恒泰先生の

 です。この本は天皇を中心にした古代から現代までの日本史を網羅しており大好きな本のひとつです。なんと25時間のコンテンツで購入すれば5000円のところタダで手に入れてしまいました。本は持っているので、本で理解を深めながら、倍速機能を使い耳からも学び知識を頭の中に定着させようと考えています。

 

他には大好きな世界史の先生・茂木誠先生のものもあったのでかなり迷いました。

 

気になるコンテンツとしては、夏目漱石、太宰治、司馬遼太郎などの著名な古典もありましたし、平家物語、源氏物語を古語でそのまま朗読しているものもあったりと、ちょっと見ただけで知的好奇心を刺激してくるものがかなりありました。(2021年3/8時点)

 

あとはカーネギーや中村天風はじめ、本屋に平積みされているような新刊本の自己啓発本もそろっているので、こういう本を聞きこむのも人生の糧になるかもしれません。こんなベストセラーも

 

 

以上、オーディブル無料体験の感想でした。とにかく購入する気はなくても無料体験で一冊貰っちゃうことをおすすめします。アマゾンくらいしかこんな出血大サービスできないだろと思うくらいお得でした。ただ、一か月後には自動更新されるので続ける気のない方はダウンロードしたらすぐ退会するのをお忘れなく。

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諏訪明神に降伏した洩矢神(もれやのかみ)とはどんな神様?

今回は洩矢神(もれやのかみ)を紹介します。

 

洩矢神の神話


洩矢神(もれやのかみ)は諏訪地方では良く知られた神様です。「古事記」の神話で出雲から逃げてきたとされる諏訪大社の御祭神で有名な建御名方命(たけみなかたのみこと)が諏訪にやって来る前から、この地を治めていた鎮守神(ちんじゅのかみ)とされています。

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洩矢神は天竜川の川岸から200mほど離れた場所にある洩矢神社(もりやじんじゃ)に祀られています。ひっそりとした小さな住宅街にあり、サッカーコートほどの面積の今でも地元の人たちに大切にされている落ち着いた雰囲気の神社です。

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この神社には洩矢神建御名方命にまつわる神話があります。

神話によると、はるか昔、諏訪の先住の神である洩矢神が住んでいらっしゃった諏訪の地に建御名方命が侵攻してきました。洩矢神は「鉄の輪」を、建御名方命は「藤の枝」を持って戦いますが、建御名方命はその威光と神通力で洩矢神を屈服させてしまいます。その時に使った藤の枝がこの地に根付き、藤の木が生い茂る森となったと伝えられています。現在では藤の木は跡形もありませんが、その場所に藤島神社と呼ばれる小さな祠(ほこら)が置かれています。藤島神社は天竜川を挟んだ対岸に鎮座し、御祭神はこの神話より建御名方命であると言われています。

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<藤島神社>

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しかし敗れはしたもののその後、洩矢神は神事を司る神長官(じんちょうかん)という役職をまかされ、建御名方命に次ぐNo.2として諏訪の開発に尽力しました。氏子たちはその洩矢神のご神威と功績を讃え、藤島神社の対岸に社を建てます。それが今の洩矢神社の始まりとされています。

 

洩矢神の末裔

洩矢神には一男一女がいました。娘は多満留姫(たまるひめ)といって、建御名方命の第二子・出早雄命(いづはやおのみこと)の元に嫁ぎます。諏訪信仰は大祝(おおほうり)と呼ばれる建御名方命を人間におろした現人神(あらひとがみ)を中心に行われる信仰なのですが、この2柱の神様が代々大祝となる諏訪氏の祖神であると言われています。一方、息子は守屋神(もりやのかみ)といい、諏訪氏を支える神長官の役職を世襲で継ぐ守矢氏の祖神とされ、この2つの血統は明治の初めまで諏訪の信仰を支えることとなります。

 

罰当たりな殿様

 

 時代は下って江戸時代。洩矢神社にまつわるもう一つのエピソードがあります。先ほど建御名方命の戦いに使った藤の枝が、この地に根づいた神話を紹介しましたが、江戸時代(寛文年中)になると天竜川両岸に藤が生い茂り、頭上で絡み合うほどになっていました。それを見た諏訪の殿様が蛍見物の邪魔になると、その藤を切り払うよう命じたのです。しかし、藤の木の伝承を知る者たちは神罰を恐れて誰も切り倒そうとしません。すると力自慢の嘉右衛門(かえもん)というものが「山役(やまやく)二人分の役料をもらえるなら私がやります。」と申し出たのです。殿様は承知して、その男に切らせたところ、男は気がおかしくなってしまい、しばらく後に急死してしまいます。さらには命令を下した殿様にも祟りがあったため、お詫びに城内で祠を作らせ奉納をすることになりました。しかし、大きすぎて大手門を出ることができず、仕方なく少し小さく作り直して奉納したのが現在の洩矢神社の本殿と伝えられています。そのため洩矢神社はその後も諏訪の藩主(高島藩主)の崇敬が篤く、明治4年までは例祭を氏子ではなく藩主が行っていた特別な神社として知られていたのです。

 

現在の藤島神社と洩矢神社の間を通る天竜川の様子。当時の面影はないようです。

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若者の人気スポット?

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境内を歩いていると、絵馬に同じ女の子のキャラクターが描かれているものが多いことに気が付きました。そういえば、帰り際にわざわざこの神社にタクシーで乗り付けた大学生くらいの男子2人組を見かけ、どうしてこんなところに若い人がタクシーを使ってまで参拝しに来るのだろうと不思議に思っていました。若い人がわざわざ来るのはこのキャラクターに理由がありそうだと家に帰って調べてみたところ、どうやらこのキャラクターは上海アリス幻樂団という同人サークル(同じ趣味、志をもつ人達によって作られるサークル)でつかわれている洩矢諏訪子(もりやすわこ)という人気キャラクターなのだそうです。たくさんのゲーム、書籍、音楽等につかわれていて、名前からわかる通り諏訪の洩矢神がモデルになっているそうです。ファンの方々が「聖地巡礼」でこの洩矢神社を訪れているということだったようです。全国的には無名だと思っていた地元の神社が思わぬ形で若い人からも愛されていることは、うれしい発見でした。人が集まる神社はパワースポットになります。もっともっと洩矢諏訪子が活躍してくれるように陰ながら応援しております(笑)

 

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せっかく来たなら守矢史料館も行ってみよう

洩矢神の末裔とされ、明治の始めまで諏訪の祭祀を世襲で司ってきた神長官(じんちょうかん)の守矢氏の住居は、現在茅野市の諏訪大社前宮近くにあり、その敷地内には守矢史料館が建てられています。(洩矢神社から車で30分くらいの距離です。)

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守矢史料館。小さい教室2つ分くらいのこじんまりした史料館です。入場料は100円か200円くらいでした。うろ覚えですみません。管理人の方が詳しい人だったので興味がある方は絶対話しかけてお話うかがった方が面白いと思います。


敷地内には御頭御社宮司総社(おんとうみしゃくじそうしゃ)という祠が置かれています。諏訪信仰にはミシャクジ神という正体不明の農耕を司る精霊のような神様が何体もいらっしゃるのですが、洩矢神はその大元締めとされ、今でもこの守矢氏の敷地内でミシャクジ神が祀られているのです。この祠は隠れたパワースポットとして神社好きには有名で、ひっそりとした場所ではありますが今でも参拝者は絶えません。ちなみにミシャクジ神は祟り神としても有名ですので、参拝の際は神様に失礼がないようマナーには細心の注意を払いましょう。

 

 

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敷地内に鎮座する御頭御社宮司総社

 

以上、洩矢神社について調べたことをまとめてみました。諏訪と言えば諏訪大社4社が有名ですが、まだまだ他にも面白い場所がたくさんあります。この洩矢神社も守矢史料館も興味がありましたら、是非足を運んでみてください!

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

洩矢神社や藤島神社の動画も撮ってきました。良かったらこちらもどうぞ。

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洩矢神(もれやのかみ)とは?