信州の人

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1万社以上の諏訪神社の大ボス。 諏訪大社上社本宮の歩き方。 (長野県諏訪市)

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全国に1万以上ある諏訪神社の総本社。朝廷や数多の部門が五穀豊穣や国家安泰を祈願しました。ここでは小さなことは祈れない。日本の安泰と未来の繁栄を祈ってきました。

 

 

 

 

今回はバスで参拝。上諏訪駅からバスに乗り、「上社」のバス停を下りると、参道はお土産売り場や食堂などが続きます。信州名物おやきや五平餅も売っていました。

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鳥居をくぐります。見上げるとハチの巣を発見。

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怖い・・・。実際近くで飛んでいました・・・。

 

普通の手水舎の横に温泉街ならではの「明神湯」と呼ばれる温泉手水舎があります。

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諏訪の温泉の源泉とも伝えられています。

 

諏訪大社は珍しい構造をしており、鳥居をくぐった北参道から見ると、拝殿は左を向いています。直接拝殿に向かう階段もありますが、下の写真の赤い矢印のように左からS字に進むのが順路のようです。

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御祭神とご利益

そして入り口門をくぐるとこちらが参拝所。

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入り口門をくぐった瞬間。一層空気がひんやりとしてきます。何かがいるなという雰囲気がひしひしと伝わってくきます。

 

参拝所の向こうには国の重要文化財に指定されている拝殿が見えます。

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手前の空間は御祈祷では使われていますが、一般の参拝では入ることができませんでした。

 

この拝殿に本殿はありません。上の境内図に描かれているように木が生い茂っています。ご神体は諸説あるようですが、近くにある神体山(守屋山)とされたりもします。祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)とその奥さんの八坂刀売神(やさかとめのかみ)が共に祀られています。

 

御神体があいまいなのは、昔、諏訪大社は特殊な信仰形態をとっていたためです。かつては大祝(おおほうり)という神職に諏訪明神(タケミナカタノミコト)をおろし、

その人間を現人神(あらひとがみ)としてあがめていたのです。つまり御神体は大祝だったのです。ところが、明治4年に神社制度が変わって、神職の世襲が禁止されてしまいます。それに伴い代々、大祝家の世襲で守り継がれてきた大祝制度も廃止されてしまいました。

そのため、御神体は神体山(守屋山)となっているが、拝殿は守屋山とはあらぬ方向を向いており、実際には右45度くらいの方向に位置することもあり、守屋山が御神体というのは後年何を拝んでるのか分からないということで、後付けされたようにも思えます。

まあ、でも、そんなことは気にせず心の中にいる神様に感謝をささげておけば問題ないでしょう。

 

この諏訪大社は古くから朝廷からの崇敬篤く国家安泰五穀豊穣の祈願が行われてきました。つまりここは国家レベルの神社なのです。

また、諏訪明神(タケミナカタノカミ)は武勇の神として武田信玄が篤く信仰していたのは有名ですが、それだけでなく古くは神功皇后の三韓出兵(古事記の中の神話)の折にも、この神様の力が働いて勝つことができたという伝説があります。神様が信仰していた神様というどえらい神様なのです。他にも源頼朝はじめ北条一門足利尊氏

徳川家康以下歴代の将軍、その他諸国の大名たちが武勇が長く続くことや国家の安泰をこの地で祈願していたようです。

 

少子化や高齢化、周辺諸国との関係など日本の抱える問題は多いですが、よい国になっていくよう手を合わせました。きっとそこには神功皇后も武田信玄も徳川家康もいるはずです。きっと先人たちは、自分たちが築いたこの国を、さらに豊かに発展していくよう見守ってくれているはずです。

 

不思議体験

境内で何だか甘い匂いがしてきました。周りに誰もいないのに、なかなか匂いが鼻を離れません。そこでパシャっと匂いのしてくるあたりを撮った写真がこれ。

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すみません、別に何か変なものが移ってるわけではないです(笑)ただ何も由緒書きがなく、なんでしめ縄かかってるんだろうくらいに思っていたのですが、後で調べてみるとしめ縄の下に見える苔むした石は「御沓石(おくついし)」と呼ばれる神石なのだそうです。貴人の沓(くつ)に似ていることから名前がついたと伝えられますが、一方では諏訪明神が神馬(しんめ)でこの石を乗り越えた時、その神馬の蹄の跡がついた石であるとの伝承もあります。

 

周りに何もないのに境内でいい匂いがしてくるというのは芳香現象と言って、神様が歓迎してくれているサインだそうです。この石のあたりからしてきた匂いが歓迎のサインであったらいいなあと思います。

 

 

 

国の重要文化財がいっぱい

先ほどの拝殿はもちろん他にも国の重要文化財がたくさんあります。

こちらは硯石。

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気づきにくいですが参拝所から見て右上に位置します。後ほど紹介する四脚門からよく見えます。上部が少しへこんでおり、常にそこに水を湛えていることから硯石の名がついたそうです。この石は現人神である大祝(おおほうり)が諏訪明神を自らの体に下すためにつかった場所で”古代宗教の最高至極の位置””であったと言われています。

 

そしてこちらがその四脚門

大祝が硯石に向かうために作られた門です。

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以前のものは織田信長が武田領を攻めた際(1582年)、諏訪大社焼き討ちで焼失してしまいましたが、徳川家康の命令で1608年再建されました。

因みに織田軍(織田信忠)の諏訪大社焼き討ちは3月3日。その後、駆け付けた信長は隣接する法華寺に陣をとり、そこであの明智光秀を皆の前で打擲したという事件が起こります。そして同年6月21日が本能寺の変・・・。

神社は大切にしましょう。徳川の代(よ)が長く続いたのは、地方の神社を大切にしてくれたことが要因の一つにあるのかもしれません。

四脚門は本宮最古の建物で国の重要文化財です。

 

 

 

こちらは入り口御門です。

繊細な細工に目が奪われます。

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ここから回廊が続き左側には摂末社や絵馬堂、御宝殿が並びます。

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神楽殿

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1827年に建てられたものでこちらも国の重要文化財。大太鼓も神楽殿の建立と同時に納められたものとのこと。右の太鼓は新しそうなので、多分左の焦げてるんじゃないかと思うくらい真っ黒な方だと思います。一枚の牛の皮で張られている貴重なものです。一瞬、諏訪大社焼き討ちの痕跡か!と思ったんですが、年代が全然ちがいました・・・。

こちらの太鼓、元旦の朝にだけ打たれるらしいです。確かにあんまりたくさん打ったらすぐ破れちゃいそうですね。

 

 

 

摂末社も忘れずに

こちらは摂末社遥拝所

上社の境内の3社を除いた、近隣の境外39社の遥拝所(離れたところから拝める場所)です。

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2本の木の前の石板に乗り手を合わせると、ふわふわとした空気に包まれる感じがしました。個人的にはここが一番すごい力のある場所であるような気がしました。

 

こちらは大国主社

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タケミナカタノミコトの父・大国主命(おおくにぬしのみこと)が祀られています。

 

 

こちらは出早社(いずはやしゃ)

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タケミナカタノミコトの御子神・出早雄命(いずはやおのみこと)が祀られています。入り口御門の目の前にあり門番の神ともされています。また、 いぼ石神と慕われ、小石をささげていぼの全快を祈る風習が残っています。

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こちらは高島社

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大祝(おおほうり)として諏訪の祭祀と政治をつかさどり、諏訪の地を安定・発展させた江戸時代初期の高島藩・藩主諏訪氏(すわし)三代が祀られています。大祝家でもある諏訪氏は諏訪明神の末裔と伝えられています。

 

 

 

 

諏訪大社上社で選んだ個性派おみくじ・お守り

おみくじをひく!

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諏訪大社はお守りなど4社同じものを扱っているので

以下諏訪大社の記事は内容重複します。

↓   ↓   ↓

お守りはシンプルなものを選んびました。中に木が入っているようなのです。引退した御柱の活用法にお守りの作成とあったので、恐らくこのお守りも御柱から切り出された木片で作られたものだと思われます。

個人的に流行りの薄型の肌守りが好きなんですけど、こちらの神社は昔ながらのスタイルのお守りが多いです。

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 他にも翡翠(ひすい)のついたおみくじ・お守りも人気のようです。翡翠はタケミナカタノミコの母・ヌナカワヒメノミコトが祀られている糸魚川市の名産で、諏訪大社とも深いつながりがあります。

 

・翡翠おみくじ

・薙鎌守り

 

 

 

 

御朱印集めにこだわるなら

御朱印は諏訪大社4社を集めるのが人気のようです。

 

 

アクセス

最寄り駅はJR本線の上諏訪駅。徒歩だと1時間以上かかりますし、歩道がないような道ばかりで危ないのでやめたほうがいいです。

 

上諏訪駅から路線バス(かりんちゃんバス)を使いました。時刻表は諏訪市の公式サイトで確認できます。(2019年現在の情報)諏訪外周線すわライナーの路線なら30分ほどで着きます。ただ本数が極端に少ないです。市内循環内回り・外回りなら1時間ほどかかりますが1日各7便でてるので、どの路線でも都合がいい方を使えばアクセスはそれほど不便ではないです。どこまで乗っても大人は一律150円というのがうれしい。

運が良ければ諏訪姫(小栗さくらさん)が車内アナウンスをしてくれます。

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車なら鳥居前まで行けば無料駐車場への案内板があるのでそちらを利用できます。

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 左下に見えます。

 

 

 

 

長くなりましたが、最後までご覧いただきありがとうございました!