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菅原道真と牛と梅の奇妙な関係⁉学問の神様といえばここ!湯島天満宮の歩き方。 (東京都文京区湯島)

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学問の神様で知られる天神様(菅原道真公)を祀る湯島天満宮。菅原道真公の墓所があるのは福岡の太宰府天満宮ですが、1355年、道真公の御偉徳を慕った民衆のたっての要望でこの地に勧請されてきました。湯島天満宮は関東を代表する天満宮の一つと言われ、学者・文人の崇敬篤く、あの有名な江戸時代中期の政治家・学者であった新井白石もこの地に参拝したと伝えられています。受験シーズンはたくさんの受験生が最後のお願いに足を運びます。受験生ではないがこの年になっても学びたいことはたくさんあるので、ご利益いただきに湯島天満宮に行ってみました。

 

 

 

 

 

御祭神とご神徳

銅製の味わい深い鳥居が迎えてくれます。

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拝殿はこちら。平成7年建造の総檜造りです

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祭神

 

菅原道真公

 

いわずと知れた学問の神様。その御神威にたくさんの受験生が集まります。

 

菅原道真公ですが、今となっては神様となって祀られていますが、不幸な晩年を過ごしたことで知られています。道真公は学者としても有名ですが、平安時代の有能な政治家でもありました。国内随一の儒教者で民衆の立場に立った善政を行い、実力も人気も兼ね備えていたのです。しかし、当時は藤原氏が絶対的な権力を持っており、人望のある道真公が活躍するのは非常に目障りでした。すると藤原氏の意向で政治の中心にいた道真公は志半ばで九州の福岡にある太宰府に左遷されてしまいます。中央の政治に一切かかわれなくなってしまったのです。結局、道真公は中央に戻ることなく、左遷先で亡くなってしまいました。

 

ここで終わっていたら道真公を祀る天満宮はここまで全国に広がっていなかったかもしれません。しかし、道真公の死後、干ばつ・洪水・疫病などの天変地異が続き、道真公の左遷にかかわった人物たちが落雷で亡くなるという事故まで起こり、これは道真公の祟りではないかと噂が広まります。民衆は祟りを恐れ、道真公を神社に祀り、その霊の怒りを鎮めました。これが天神信仰のはじまりです

 

しかし天下が太平になると、もともと人気のあった道真公ですのでもともとの祟りは忘れられ、当時日本随一の学者だったということから学問の神などと慕われたり、雨や雷などで人々を困らせたので、転じて雨の恵みをもたらす雷神(天神)とされたり、雨の恵みをもたらすことから稲の恵みを授ける神としてなど様々な形で全国の崇敬を広く集めることとなりました。

 

とは言えやはり、一般的なイメージは学問の神様。受験シーズンが近くなると絵馬の数がものすごいことになってきます。

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やはり合格祈願の絵馬が大半を占めていました。

 

 

 

摂末社も裏にあるので忘れずに

こちらは戸隠神社です

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祭神は天之手力雄命(あめのたじからおのみこと)。「天岩戸」の神話でアマテラスが隠れた穴の入り口の巨大な石を信州までぶん投げたという力を司る怪力の神様です。技芸上達、武道(スポーツ)向上などのご利益があるとされています。

この地に天神様が移ってくる前の458年から祀られており、御鎮守さま(この土地の神様)として崇敬を集めていました。

 

こちらは笹塚稲荷神社です

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祭神は宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)。いわゆるお稲荷さんで、商売繁盛などのご利益があるとされています。

 

 

菅原道真と梅の花

境内のいたるところに梅の花をモチーフにしたものがあります。神紋は梅の花です。

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狛犬の台座にも梅の花が描かれています。

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よく見ると鳥居や扁額や鳥居にも梅の花がちりばめられています。

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ではなぜ菅原道真と言ったら梅の花なのでしょうか?

飛梅(とびうめ)伝説というものがあります。左遷されることが決まった時、道真公は屋敷の庭の木々たちとの別れを惜しみました。特に梅の木が好きだった道真公は梅を偲んで歌を詠みました。

 

「東風(こち)吹かば におひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ」

 

「春になったらそのかぐわしい花をちゃんと咲かせろよ。俺がいないからって忘れちゃだめだぞ。」

 

という歌です。道真公が九州に左遷されてしまうと、庭にあった木々たちはかなしみ、桜の木は悲しみのあまり枯れてしまい、松は飛んで追いかけたが途中で力尽き、梅だけが飛んで九州の道真公の屋敷の庭に降り立ち、その香りで失意の道真公を慰めたという伝説です。この話しから菅原道真と言えば梅の花というイメージが固まっていったのです。今でも太宰府天満宮では樹齢1000年ともいわれるその「飛梅」が本殿向かって右側に植えられています。もちらん実際には飛んできたのではなく従者が持ってきて植えたんじゃないかとか、道真を慕って九州まで来た人間が持ってきたんじゃないかなどと考えられています。

 

天満宮には寝そべる撫で牛がいる理由

境内内には横たわった牛が2頭います。全国の天満宮でもおなじみのこの牛たちと菅原道真公はいったいどんなつながりがあるのでしょうか。

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諸説ありますが、一つは道真公が元服(昔の成人式)の際、夜、牛の角が折れその牛が死ぬという凶夢を見てしまったことを気にかけ、自ら牛の絵を描き、それに酒を供えて拝んだという話があります。

 

また別の話では、道真公が左遷された際、藤原氏が放った追っ手に暗殺されそうになりかけたが、元の屋敷で飼っていて、直前にいなくなってしまっていた愛牛が飛び出てきて刺客を蹴散らした話しも伝えられているそうです。

 

一方で晩年にも牛のエピソードがあります。道真公は亡くなる前に「(自分の遺体を)人にひかせず牛のゆくところにとどめよ」と遺言しました。実際に道真公が亡くなり遺体を運んでいると引いていた牛が安楽寺の近くで横たわりそこを動かなくなり、それではとそのまま安楽寺に埋葬したという故事も伝えられています。

 

天満宮内の撫で牛がみな横たわっているのはそのためです。そういった様々な逸話から今では牛は天神様の使いとされ、撫で牛は傷や病気の箇所をさすると回復する、あるいは頭をさすると知恵を授かり賢くなるとつたえられ、長く参拝者に愛されるようになったそうです。

 

 

湯島天満宮で選んだおみくじお守り

シンプルで小さい肌守りが好きなのでこれを選びました。

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合格祈願のお守りや鉛筆が人気です。

 

おみくじは菅原道真公の歌が記載されている天満宮独自のものです。

 

御朱印はこんな感じです。

 

 

アクセス

徒歩5分圏内。

少し足をのばせば上野公園内の神社(上野東照宮、花園稲荷神社、不忍池弁天堂などたくさんあります)も参拝できます。

歩きだと少し遠いですが、湯島と言えば神田神社湯島聖堂も有名です。

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湯島聖堂↑

 

 

湯島近くには有名なパワースポットたくさんあるので時間があれば回ってみてはいかがでしょうか。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!