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謎の多いアラハバキ神とはいったい何者か?その言葉が指す意外な物とは?

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Wikipediaより転載

太古から東北で信仰されていたといわれるアラハバキの神。

いろいろな説があり、なかなか姿形がつかめないこの神様。

一体何者なのでしょうか。

 

 

 

 

大宮氷川神社の摂社・アラハバキ神社の謎とは?

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冒頭の写真は埼玉県の大宮氷川神社の境内にある門客人神社です。この社が以前、荒脛巾(あらはばき)神社だったというのです。アラハバキ神は出雲族がこの地を支配する前からいた神様だったのですが、出雲族に制圧されてからは門客人神社と名前を変えられ、祭神も手摩乳命(てなづちのみこと)足摩乳命(あしなづちのみこと)にされてしまったのでしょうか。本来先にいたのアラハバキ神なのですが、出雲が支配した土地にいさせてあげるという意味で客人にされてしまったという説もあります。

 

それではいつそのように変えられてしまったのでしょうか?

 

どうやら以外にも江戸時代氷川内記という神官が出雲大社の摂社と同じように門客人神社に改称したいと言い出し、変えてしまったという記録があるようです。脛巾(はばき)は足(あるいは手)に着ける道具のため、てなづちとあしなづちの2柱の祭神が選ばれたのだとおもいます。それでは出雲族が隠し神にしたわけじゃないのかなと思ったのですが、実はこの祭神の前は

・櫛石窓神(くしいわまどのかみ)

・豊石窓神(とよいわまどのかみ)

という古事記の神様だったようです。アラハバキが古代神である場合、後にこれらの神様に上書きされてしまった可能性は残ります。

そこで、この2柱がいつから祀られているかを知りたかったのですが、残念ながらわかりませんでした。

 

 

アラハバキの姿は遮光器土偶なの?

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Wikipediaより転載

 

様々な創作物の中でアラハバキ神は遮光器土偶の姿として描かれています。上の写真が遮光器土偶です。この姿が謎の多い古代神というイメージをより強くしているようです。このイメージは青森県の和田喜八郎氏が発見したとされる東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)という古文書の中でアラハバキ神の記述部分に遮光器土偶の挿絵があったために生まれたものだそうです。

 ただし、この古文書は今では偽書であることが、ほぼ確実視されています。

理由の一部を記載すると、(参考Wikipedia)

  • 古文書でありながら20世紀に入ってからの学術用語が使われている 。
  • 公開した古文書は和田喜八郎氏の祖父の写本と主張するが本人の直筆と完全に一致する。
  • 原本の公開は拒否。喜八郎氏の死後、自宅を調査するが原本はどこにも見つからなかった。

以上のことからアラハバキの姿を遮光器土偶と結び付ける根拠はないと思われます。

 

 

アラハバキの言葉の意味とは?

「アラハバキ」のことばの意味はおおきくわけて2つの説が有力です。

 

脛巾(はばき)という、山伏などが山道を歩く時に使うふくらはぎに巻く藁で編んだサポーターのようなものが由来という説で、こちらが一般的です。山の民や山伏たちにとって脛巾(はばき)は非常に重要な道具で、それが神聖化されていったと伝えられます。実際に今も足の神、そこから発展して下半身全般の神、つまり精力の神としても祀られているところもあるようです。

 

②もう一つは吉野裕子氏の蛇神説です。「はばき」の「はは」は蛇という意味の古語で、「はばき」とは古来、祭の中枢にあった直立する蛇に見立てた木、「ははき(蛇木)」のことだといいます。そこに「顕れる」の接頭語がついて顕蛇木(あらははき)になったというのです。

 

今は①の形で信仰されているように思えますが一つ疑問に残ることがあります。

脛巾(はばき)ってそれほど人間にとって重要なのでしょうか?

 

 

脛巾(はばき)ってそれほど重要?

確かに東北に住む山の民や山伏が脛巾を大切にしたことは理解できます。もしかして、それが生き死にかかわるほど重要だったのかもしれません。だけどもっと重要な物ってないでしょうか?山や火、水、川、海、太陽、月、星、動物、穀物など、いろいろな生命や共同体にとって重要な大自然を目の前にして、脛巾を信仰の中心に置くのは不自然ではないでしょうか。ちょっと考えにくい気がします。

そう考えると吉野裕子氏の蛇神説の方に説得力があるような気がしてきました。

 

 

 蛇神説

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吉野裕子氏は著書の『蛇』の中で古代日本人は蛇を神にしてきたと語っており、しめ縄も二匹のハブの交尾の造形だとしています。なるほど確かにそうみえる。縄文土器も女神が蛇を抱えてるものがあるそうですが、そもそも縄の模様が蛇っぽい。

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古代エジプトでは「主権、王権、神性」の象徴としてツタンカーメンの頭にコブラが飾られていますし、ヨーロッパでも蛇が脱皮して成長するさまや、長期の飢餓状態にも耐える強い生命力から「死と再生」「不老不死」などの象徴ともされます。世界中で古代の人たちは蛇に神性を見出しているのです。そう考えるとはるか昔、アフリカ大陸の方から渡ってきた私たちの祖先が蛇を神聖視していたと考えても全くおかしくないと思いました。

 

また日本でも蛇は龍と同一のものと考え、その湿地を好む習性から水の神の使い、あるいは水神そのものとして扱われてきたらしいのです。先ほどの大宮氷川神社にも境内に「蛇の池」というものがありその水源が神社発祥の地とされており今でもパワースポットとされています。そして、その周辺のかつて沼であった見沼地区には今でも龍伝説が残っているのです。

 

 

結論。

 

アラハバキはかつては水をつかさどる蛇神(あるいは龍神)だったのではないでしょうか。しかし、山岳地域一帯が出雲族に支配されることにより、出雲族の神を信仰するようになり、アラハバキは隅に追いやられ、ないがしろにされ、どこかで伝承が途切れ、

名前だけが残ってしまったのではないでしょうか。(何千年も前の話だとすると、文字のない口伝の時代ではありえなくもないと思います。)名前の「はばき」からの連想と、山の民にとって「脛巾」が大切なものであったことから脛巾(はばき)の神と変化し、八百万の神の1柱として足、あるいは下半身の神として崇められるようになったのではないでしょうか。

 

本来支配されれば前の神はつぶされてしまうのが普通だと思います。しかし縄文は争いのない時代。その年代の地層には人を殺すための道具らしきものは発掘されてないそうです。支配されるといっても、出雲族から農業をはじめいろいろ技術を学び、共に発展していくために統治を譲ったのかもしれません。神様も何か似たものと融合していったのかもしれません。

なんせ日本人は仏教と神道を混ぜてしまうという柔軟な発想ができる民族なのです。もしかしたらその時から同じようなことをしていたのかもしれません。

 

あくまで推測ですが、皆さんはどう考えましたか。古代の人たちの気持ちを考え推測するって面白いですよね。正解はわかりませんが、自分なりに考えて歴史を作っちゃいましょう。思うのは自由ですから(笑)

また何か題材あったら調べてみます!

最後までお読みいただきありがとうございました!