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金王丸はあの〇〇を討とうとしたのに返り討ち⁉ 金王八幡宮の歩き方。 (東京都渋谷区)

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渋谷で働くならここに行くべきと

あの有名な占い師・ゲッターズ飯田氏に紹介されたこともある

金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)

喧騒から少し離れた、かつて渋谷城があったこの地で

ひっそりと、静かな空気を味わってみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

御祭神とご利益

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祭神

応神(おうじん)天皇←八幡様のこと。

古くから「文武の神」「平和の神」「母子の神」「子授・安産・子育ての神」として信仰されており、他にも「福徳開運、厄除、良縁の神」特に「渡航交通安全の神」として崇められている。

 

こちらの金王八幡宮河崎基家(かわさきもといえ・渋谷氏の祖)

によって1092年に創建された。

基家は源義家(よしいえ)の軍に参加し大功をあげ、渋谷を中心とした地域を拝領し、

息子の重家の代に天皇より渋谷姓をもらった。

八幡宮を中心に居城(渋谷城)を構え、

代々氏族の鎮守として、八幡宮をあがめるようになった

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こちらは社殿の横に置いてある渋谷城の砦の石

残念ながらのちに渋谷城は1524年の北条氏綱との戦いの中で

焼き払われてしまったため残ったのはこれだけである。

 

社殿は1612年、二代将軍徳川秀忠の時代に建造されたものだ。

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権現づくり。江戸時代初期の様式をとどめる都内でも貴重な建築だ。

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左の虎は正しい政(まつりごと)右の獏(ばく)は世の安寧の願いが込められている。

 

 

 

金王丸(こんのうまる)って何をしたひと?

それでは金王八幡宮の名前の由来にもなっている金王丸(こんのうまる)とは

一体どんな人物だったのだろうか?

 

金王丸は、渋谷氏の祖であり八幡宮を創建した河崎基家の孫である。

金王丸の父・重家にはなかなか子ができなかったため、

夫婦でこの八幡宮に子授けの祈願を続けていた。

すると重家の妻のお腹に「金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)

が宿る霊夢(れいむ)を見て、その後、立派な男子を授かったのだというのだ。

それが金王丸である。

悪と敵を食らいつくして善を守る、聖なる力の神「剛夜叉明」の名にあやかり、

最初と最後の文字をとり「金王丸」と名付けらえたと伝えられている。

 

金王丸は14,5歳の時に保元の乱で源義朝の軍に従軍し大功をたてその名を轟かせた。

(神社の由緒書では17歳とあるが年数から計算すると数えで17歳の意味だと思われる。)

その3年後、義朝が戦で命を落とすと、

剃髪し、土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)と称し、義朝の御霊を弔ったという。

若いのに忠義に篤い男なのだ。

 

義家の子・源頼朝は金王丸の6歳下になるのだが、親交が深く、

挙兵の折に頼朝は密かにこの八幡宮に籠り、平家追討の祈願をしていた

 

後に頼朝は壇ノ浦の戦い後、源義経に謀反の疑いをかけ打ち取ろうとするのだが、

それを金王丸に命じた。

 神社の由緒書きによれば、金王丸は断ることもできず、

京都の義経の屋敷に討ち入った。

しかし、小さい頃の義経を知っていた金王丸は初めから義経を討つつもりはなく

捉えられ勇将らしい最後を遂げたということなのだ。

 

しかし、鎌倉時代編纂の歴史書「吾妻鏡(あずまかがみ)」の中では

頼朝が義経を討つため御家人を招集したが、みんな嫌がるところ

金王丸が名乗り出て頼朝を喜ばし、京の義経の屋敷に討ち入った。

ところが、義経の激しい抵抗にあい、鞍馬山に逃げ込んで最後は捕まり、

さらし首にされてしまうという話になっている。

 

色々な物語で取り上げられ語られる人物でもあるので、

何が正しいかはっきりとしたところは判らないが、

義朝に忠義を尽くした若くして才能のあった武将であったことは間違いないだろう。

 

神社には金王丸の所持したと伝えられる「毒蛇長太刀」と、

金王丸が15歳の出陣の折り、母親に渡したという

自分の姿を彫った木像が保管されている。

こちらが境内にある金王丸御影堂(こんのうまるみえいどう)。

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金王丸が祭神として祀られている。

この中にその金王丸の木像が納められており、

毎年3月の最終土曜日の祭礼で特別開扉される。

 

こちらがその画像。

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金王八幡宮ホームページより転載

15歳でこれが彫れるって、なんでもできちゃうすごい人だったんだなぁ。

 

金王桜を植えたのは誰か?

この金王桜は一重のものと八重のものが入り混じって咲く珍しいものだ。

渋谷区の天然記念物にも指定されている。

見ごろは3月下旬ごろから4月の上旬くらいの頃。

そのころには桜祭りも開催されているらしい。

 

 この桜は源頼朝によって植えられた。

金王丸の名を後世まで語り継げと厳命し

自分の亀ヶ谷の屋敷から持ってきた憂忘桜(うさわすれのさくら)

この地に移植し「金王桜」と名付けたのだという。

現在まで代々植え継ぎ、守り伝えられている。

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ちなみに今日はこんな感じ(10月)だが

春にまた来てみたい。

 

こちらはホームページの画像。

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金王八幡宮ホームページより転載。

 

 

 

 渋谷に怖そうな人たくさんいるけど

昔からやっぱり喧嘩強い人いたんだなあと当たり前のことを思い、

なんとなく重ねて想像してしまった(笑)

 

渋谷で働く人も、オールで遊ぶ人も

こちらの金王八幡宮参拝してみてはいかがでしょうか。

危ない目にあいそうになった時、

助けてくれるかもしれませんよ!

 

 最後まで読んでいただきありがとうございました!