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勝ったのはどっち?春宮と秋宮で行われた大工の腕比べとは⁉

諏訪大社下社には春宮秋宮の2つがあり、およそ1キロメートルくらい離れた場所に位置します。そこでは遷座祭と言って神様を春宮から秋宮へ、また秋宮から春宮へと半年ごとに移動させるお祭りもあります。この2つの神社にはなにやら名工たちによって繰り広げられた逸話があると聞いたので自分なりに調べてみました。よかったらご覧ください。

(下の写真は下諏訪の街の中を練り歩き神様が移動する2月1日の遷座祭。観光客はほぼいなかった。8月の遷座祭・お舟祭りの方が賑やからしい。)

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宮大工から生まれた宮彫の流派

日本の伝統彫刻には大きく分けて、仏像彫刻と宮彫(みやぼり)の2つがあります。宮彫とは神社仏閣を飾る装飾彫刻のことで、当初、宮大工の棟梁が簡単な模様や飾りを彫っていましたが、専門性が高まり、後に流派が生まれるまでになりました。代表的な流派では、江戸時代前期に大隅流後期に立川(たてかわ)流が活躍しました。

 大隅流平之内大隅守(へいのうちおおすみのかみ)がおこした流派で、日光東照宮や湯島聖堂の造営などの幕府の仕事を請け負いました。その大隅流から棟梁の立川小兵衛(たてかわこへえ)が分派し江戸に立川流がおこり、後にこちらも勢力を伸ばし幕府の仕事を任されるようになっていきます。

 

ちなみに・・・。

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こちらは湯島聖堂。先ほど湯島聖堂の造営に大隅流がかかわったと説明しました。残念ながら元の聖堂は4度の江戸の大火に遭い、その都度修復したようですが1923年の関東大震災で焼失してしまったそうです。現在の建物は寺社建築の第一人者・伊藤忠太が寛永年間の建物を参考に、鉄筋コンクリート造りで再建したものです。

 

諏訪の名工・立川和四郎富棟あらわる!

長野県、諏訪の塚原家では桶職(おけしょく/桶や井戸回りの設備を造ったり修繕したりする大工の仕事)を営んでいました。その家の子・和四郎(わしろう)は江戸へ出て立川流を起こした立川小兵衛に奉公します。天賦の才もあり、そこでめきめきと腕を上げた和四郎は、棟梁の小兵衛に認められ立川姓をさずけられ立川和四郎富棟(たてかわわしろうとみむね)を名乗らせてもらえるまでになりました。

 

和四郎はいったん故郷の諏訪に戻り独立しますが、その頃諏訪で全盛を極めていた大隅流の彫刻をみて自分の未熟さを痛感します。再び江戸へ戻り、宮彫師・中沢五兵衛に師事し彫刻の腕を磨きました。そして数年後、故郷に戻り棟梁として新しく諏訪に立川流をおこし、後にこちらの立川流が勢い盛んになり、立川流と言えば諏訪の立川流を指すようになっていきました。

 

春宮と秋宮での腕比べ。

和四郎が江戸で宮彫りを学び再び諏訪に戻ったちょうどその頃、春宮と秋宮の改築が諏訪藩によって計画されました。藩主は大隅流立川流を呼び寄せ、両者に同じ絵図面を渡し、同じ規模、同じ期間で同時に二つの社を作ることを命じ、互いに彫刻の腕を競わせることにしました。春宮は大隅流の宮大工・柴宮長左衛門が、秋宮は立川流和四郎富棟が棟梁を務めることになりました。

 

春宮が1779年、秋宮が1781年に完成し、いずれも長野県下諏訪町に今も国の重要文化財として現存しています。

 

それでは比較してみましょう!

諏訪で全盛を誇っていた大隅流新しく勢いをつけてきたのイケイケの立川流。皆さんはどちらがお好みでしょうか?

 

 

大隅流と立川流の比較

春宮幣拝殿(大隅流)

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秋宮幣拝殿(立川流)

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どちらもほぼ見分けがつかないほど似ています。幣拝殿とは幣殿と拝殿が一体となった建物で、お賽銭のすぐ横に供物を供える台がある変わった造りになっています。

それでは、彫刻も見てみましょう。

 

 

春宮の彫刻(大隅流)

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秋宮の彫刻(立川流)

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皆さんはどちらが好きですかね。私は木鼻の獅子は大隅流の方が表情が豊かで好きですけどあとは立川流ですかね。写真が悪いのもありますが、大隅流はごちゃごちゃしていて何なのかよくわからなくなっているような気が・・・。

当時の結果を調べてみると立川流の方が評判が良く、秋宮は立川和四郎富棟の代表作となり、以後立川流が大隅流を圧倒して勢力を拡大していくきっかけとなりました。

 

また、和四郎富棟の息子の二代目立川和四郎富昌(とみまさ)も父親に並ぶ実力の持ち主で、諏訪を飛び出し遠方でも活躍するようになり、善光寺秋葉神社など長野県を代表する彫刻建築を残してました。さらに、静岡県の静岡浅間神社では和四郎富棟からはじまる親子と孫の三代にわたり造営にかかわり名声を広げ、愛知県の豊川稲荷、半田の山車や岐阜県高山の屋台なども手がけるまでなっていきます。

 

ちなみにこちらは長野県善光寺。

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調査は以上となります。まさか春宮と秋宮に昔の宮大工たちの流派のプライドをかけた熱い戦いが繰り広げられていたとは思いも及びませんでした。神社には行くけど、神社の彫刻はあんまり興味ないという方も、大隅流か立川流かの説明をもし目にする機会があればこの話しを思い出していただけたら嬉しいです。

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

 

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