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君が代は古代の流行歌⁉「君が代」はいつ誰が作ったのか。

「君が代」はいつ誰が作った国歌なんでしょうか。

個人的には明治ぐらいに国を結束させるために、軍国主義的な目的をもって作られた曲だと思っていました。どうやらそれだけではないよです。調べてみました。

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君が代の歌詞は誰が書いたの?

君が代は文字数が5・7・6・7・7になっています。そうなんです。一文字の字余りの和歌なんです。この和歌は天皇の命令で編纂した初めての和歌集「古今和歌集」(905年)におさめられている読み人知らずの和歌の一つで、お祝いの歌として紹介されているものです。後に出された他の和歌集でも繰り返し採用されており、当時から非常に有名で評価が高い歌だったことがうかがえます。

 

わが君(きみ)は 千代に八千代に 

さざれ石の 巌(いわお)となりて 

苔(こけ)のむすまで」

 

最初はこのように「わが君は」となっていましたが13世紀ごろの歌集ではすでに「君が代は」に変化しています。「君」とは相手への尊称です。天皇とは限りません。「代」とは歳のことです。「千代・八千代」は非常に長い年月。「さざれ石」は小石が長い年月で圧迫されくっついた石です。神社の境内によく奉納されてますよね。「巌となりて」は小石が成長して岩になるという民間信仰に基づいた考え方です。意訳すると「長生きしてくださいね。小石がくっついて、岩にまでなって、それに苔が生えるほど長くですよ。」というお祝いの宴などで歌われる長寿を願う歌、縁起のいい歌なのです。

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(神田神社に奉納されたさざれ石。)

 

 

「君が代」は古くは薩摩琵琶(さつまびわ)などの歌詞としても使われていました。明治時代になると薩摩軍楽隊で新たに作曲し演奏するようになります。ここで軍と君が代が結びつきます。そして、1880年に宮内庁の儀式や雅楽などをつかさどる部署にいた林広守(はやしひろもり)やドイツ人音楽教師らが改めて作曲し直し、天皇誕生日に演奏させたのが現在の「君が代」です。

 

「君が代は」の「君」の字は時代が下るとともに「あなた」という意味から「天皇の御代」の意味で解釈されるようになっていきます。明治時代においては完全に「天皇の御代」という意味で解釈されるようになっています。戦前の教科書にはっきりとそのような意味であると記載があります。1930年(昭和5年)には国歌として定着し、1999年(平成11年)に「国旗及び国歌に関する法律」で正式に日本の国歌として法制化されました。

 

 様々な思いのある方はいらっしゃるとおもいますが、1000年以上前から親しまれてきた和歌が国家になっているなんて、そのこと自体は素敵だなと思います。「君」を我々一人ひとり、みんなと考え、一人一人が小石でも協力し合って一つの大きな岩になって新しい芽(苔)を生み出す、そんな本来の解釈の長寿や発展や幸せ願う歌としてあらゆる人に受け入れられるようなになればいいのになあと思いました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。